**山行報告・北穂東稜***

    アルパインクライミングモドキの楽しみ


2008年5月3日〜5日
中野・久保・吉尾
                                                       
  《♪雪よ岩よ 我らが宿り 俺たちゃ 街には 住めないからに♪》 雪岩、すなはちスノ−アンドロックは岳人にとって憧れであり目指したい処だと思う。その雪岩に久振りに会う事になりました。 もっとも街には充分住めるけど!
  《♪娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ♪》 そんなヤツはいないだろう、老後家さんだろう!
  前振りはこのくらいで本題に入ります。

  五月の日差しは真冬と違い明るく暖かい、厳しさはなく優しさがある。少し物足らなさが中高年岳人にはちょうど良い。
クランポンを足に纏い、ザイルをパ−トナ−にし、ピッケルを頼りに困難に立ち向かい頂上を目指す、充実の時で有る。 
  深淵の青、谷は深いほど、情熱の赤、頂きは高いほど、喜びは大きい。スタンダ−ルの名作『赤と黒』ではないが、両方手に入れば山行は充実するでしょう。と言う事で今回の山行は、最高歳者最強のクライマ−の久保さんと、著名クライ−と同姓異名で昔クライマ−の吉尾明氏、それに今ハイ元クラ、異色のトリオでパ−ティ−を組み出かけました。
  テ−マは春光の中で岩雪(アルパイン)を楽しむ事です。登頂は目的ではなくその過程、あくまでも岩雪を楽しむ事です、ですから欲張って涸沢をベ−スに2ル−トを選びました。北穂東稜と奥穂北尾根です。

  涸沢に入るのは何時年振りであろうか、記録を調べて見たら01年の夏8月に穂高夏合宿を5人で行なっているそれ以来、7年である。
屏風岩から北尾根の四峰正面壁、そして滝谷ド−ムの連続登攀予定が雨に合い、結局北条=新村ル−トだけを登攀しただけで、雨に祟られた夏の記憶がある。
  四峰から本峰に登り、吊り尾根経由で奥穂そして多分白出のコルから涸沢に戻った様だが、余り憶えていない。
  以前とほぼ同じル−トを季節は違うがトレ−スすることに計画を立てた。

  始発の環状線、始発の新幹線を乗り継ぎ上高地到着は予定通り5月3日の午前11時10分、仕度を整え11時45分に出、涸沢到着先隊午後6時半くらい、後隊到着7時10分くらい、多分最終便の涸沢入りだと思う。
  後隊到着を待ってテント設営、即鍋で夕食、痛飲と慌しくこなし就寝。
  翌4日は午前4時過ぎ目覚め、6時35分ごろ少し遅めの開始であった。雲一つ無い快晴である。高度を上げるに気温の上昇、春山ではなく初夏の陽気で、半袖のTシャツ一枚でも充分くらい暑い。
  ベ−スから200m程上った処2,500mくらいの地点でトラブル発生。Y氏が頭痛を訴え、高山病の疑いが有るので此処でテン場に戻る事になった。
ここからY氏のル−トの指南を受けKさんと二人で東稜を目指し雪面を登り稜上に出る。
稜上の出るル−トは色々有る様で、案内書では右の最低鞍部からと書いてあるが、何処がそれか良く解からない。先行パ−ティも迷っている様子、余り左に寄らないで右よりで先行パ−ティの後ろを追う。
雪面を詰めて行き稜上に出た、両側がすっぱり切れた幅40cm程の雪のナイフリッジが続き岩場が出てきた、先行の二人連れはそこで手間取っている様子。勿論、中高年クライマ−それも男女であった。女性をシュリンゲで手助けしていた男性から、使用しても良いとそのシュリンゲを手渡れされ、折角だから有り難く形だけ使い乗越え、そこでそのパ−ティを追越した。後にKさんに聞くとそのシュリンゲは使わなかったとの事。さすが最高齢最強クライマ−。
その後又、雪のナイフリッジが続き今度は先行パ−ティがザイルを出し、最終者が待機していた。ゴジラの背の様だ。40,50m先で確保しているのが見える、平らな雪面に腰を下ろしビレ−している、4,5人パ−ティの様だ。中々進まない、暫らくすると先ほど追越した男女のパ−ティが来た、未だ進まない、今度は男々の二人連れが来たが、慣れている様でサ−と2m程の垂壁を乗り越し、確保されて岩場を乗越えている先行者を追越し消えて行った。
その垂壁だけで後は見える限り簡単そうだが、そこで先行者を追越すのも躊躇するし、準備を先にして置き暫らく待つことにする。
最終者が動き出した、と同時に後を越さない様に確保されながら着いて行った。やはり後は簡単だった、ザイルなしでも問題無い様だ。最後は後ろ向きになりクライムダウンして平らな雪面に降りた。此処がガイド書に出ていた10m程の懸垂下降場所の様だ。結局懸垂支点が有ったが使用せず、ランニングに使った。
その平らな雪面でピッケルを支点にスタンデングアックスビレイでKさんを迎え入れた。
その後又スノ−リッジが続き、やがて幅広の尾根に出て、北穂高小屋が目の前に迫り小屋に到着。
ガイド書によるとル−トグレ−ドは3級となっているが、雪が少ない為か3級下の感じだった。尾根の登高より稜上の取付きのル−ト選択が難しいと思えた。
北穂高小屋と、山頂で充分に休憩を取り、涸沢には2時過ぎ頃に到着、予定通りである。
Y氏はその後体調が戻り、日焼けし元気になっていた。二人は呑まないので一人で今日の山行に祝杯を上げ、明日の北尾根に期待した。
Kさんのアドバイスを受け涸沢小屋に明日の北尾根の情報を仕入れに行った、内容は、《5.6のコルへの取り付きは雪に締まっている早朝成るべく早い時間が良い、4峰の登りは出来るだけ上がり涸沢側に廻り込んだ方が良い、今日は4パ−ティ程入ったのでトレ−スは付いているので、ル−トは解かる、明日も多分今日同じくらい入るのではないか》この情報で、3時起き4時半出と決める、期待が膨らむ。
がしかし事態が変化しだした、夕刻隣のテント辺りから明日は雨の声が聞こえた、ラジオもその様な情報を流している、ヒュッテに確かめに行く。聞くと《朝は曇りで昼辺りから雨、夕方は曇り、しかし松本の天気情報、穂高もほぼ同じで雨も早まる可能性有り》テレビでも同様の情報を流していた。テレビ写るのだ。
テントに戻り協議、縦走ではないので雨では登りたくない、結論は中止が出た。
一人では登れないし、確かに雨では楽しくない、そしてなりよりテ−マでもある《春光の中での岩雪》の主旨にも反する、ここで断念する、また課題が出来た。
一日早め、5日にテントを撤収上高地に下り、その日に帰阪にする事に決定。
翌日6日、朝トイレの帰りにヒュッテ売店のテ−ブル辺りで凍稜会のM氏に呼び止められ、しばし話しをする。《屏風岩を登り昨日の午後6時ごろ涸沢に入った、屏風の登攀より抜けてからラッセルが大変だった、今日北尾根の予定だったが天気が悪いので下りる事にし帰ります》との内容だった。これで改めて北尾根の中止納得。
午前6時35分くらいに涸沢を後にし、12時過ぎに上高地に到着、これで2008年の春山は終わった。

山は逃げないが歳は取る、加齢と共に山は遠のき、好機も減り、残された時間は少なくなる。今暫し岩や雪を現場で楽しみたい、そして年老いて老いぼれてしまったらせめてベ−スでその雄姿を遠望し楽しみ、山々谷々の空気、輝き、風、木々、花々、水、岩の肌触り全てを全身に感じ思い切り浸り、充実の時間を持ちたい。多分そう遠くない、後少しでその短い期間を過ごせる時を迎えるであろう。

今回参加されたお二人には感謝したします、有難う御座いました。又、機会が有れば一緒に山行を楽しみたいと思っています。


(中野)